フィンランドの幼児教育・保育士【第五回 保育士・子ども・保護者の関係】






















この回では、保育士と子ども、保護者との関わり方から、フィンランドの幼児教育を見ていきたい。


みんな対等に会話をする

フィンランド語には日本語のような敬語は存在しない。
保育士も子どもも、お互い下の名前で呼び合う。
保護者との会話も子どもとの会話も、普段の言葉遣いのままだ。
もちろん難しい言葉は子どもに説明するが、「ハサミでチョキチョキ切るよ」とか、「もぐもぐ噛んで食べようね」等、子どもに対して使う特有の話し方はない。

フィンランドでは、人の呼び方や話し方が、子ども・保護者・保育士の関係を対等にしている。

保育士は一人の人間であり、金曜日が近づくとあからさまに喜ぶし、週末の予定を嬉しそうに話す。スーパーで保護者に会っても「Moi!」と、挨拶をして終わり。保護者も後から「○○先生が、こないだスーパーにいたよ。」なんて噂にはしない。


誉める

これは、幼児教育に限らず、フィンランドでは誉める文化がある気がする。
着ている服だったり、持っている小物だったり、ペットの写真だったり、結構何でも誉めてくれる。
例えば、私が保育所でピアノを弾いたり、折り紙を折ったりしただけで、「すごい!!」と誉めてくれる。
実習の時の指導案も、「こんなに適当に書いて大丈夫かな...」と思っていたものも、「こんなに丁寧な指導案は見たことがない!」と誉めてもらえた。

日本では120%の力を出し切っても、評価されるのはせいぜい70%だったけれど、フィンランドでは70%の力で、120%評価されることに気が付いた。

なんというか、悔しさをバネに成長する、できていないところに注目してそれを伸ばす文化はない。“人をいじる”、“いじって笑いが生まれる”考えもなく、そんなことをしたら“差別”だとか、“いじめ”に分類されるだろう。
この誉める文化は子どもの中にも自然に浸透している。


失敗から学ぶ(失敗を気にしない)

フィンランド語に、“Virheistä oppii”という言葉があって、“失敗から学ぶ”という意味になる。
フィンランドで失敗や間違いを経験することは良いことと見なされている。そもそも失敗を気にしていない。
失敗や間違いから、何か学んでいるのかどうかすら疑わしい時も多々ある。

行事の前はなんとなく準備が始まり、なんとなく会議で要点を話していざ本番、というのが一連の流れだ。指導案は作らない。

例えば遠足の前だと、話される内容はこれぐらい
・集合時間
・昼ご飯はソーセージを焼く
・おやつはバナナ
・アレルギーの子どもについて

もちろん大雑把にしか予定を決めないから、当日何かしらのトラブルが起こる。(ソーセージをみんなが一斉に取りに来てごった返す等)
しかし、みんなそんなことは特に気にしていない。
何かが起きても、“まあなんとかなるでしょう”という心構え。

フィンランドでは“なんてことはない”とか“しょうがない、どうすることもできない”という言葉をよく耳にする。
失敗が起こってもそんなに焦る必要はない。
Oho!(オホッ!)”と言っておけば、大抵のことは水に流れる。

反対に日本では“失敗をどうやって防ぐか”というところに時間を費やすため、失敗してしまうと取り返しがつかなくなってしまうこともあるだろう。

選択と自己責任

保育所では、様々な場面で子どもに選ばせる機会を作っている。
例えば給食時、おかずをどれだけよそってもらうか、ソースはジャガイモの上に掛けるのか。午睡時、服を着たまま寝るか、脱いで寝るか、ぬいぐるみと一緒に寝るのかどうか等。

時には子どもの選択がよくないものであっても、“その子が決めたから”と、その選択を無理に変えることはあまりない。

例えば外に行く時、寒いのに薄い手袋で外出しようとする子どもに、保育士は「もう一枚手袋をつけなさい。」と最初は言うけれど、それでも子どもがつけたくないと言えば、そのまま外に行く。
もちろん安全に関わることに対しては絶対のルールがあるけれど、それ以外のことは様々な面で子どもに決定権がある。

決定権があるからと言って、子どもが好き勝手に何でもできるということではなく、それには必ず自己責任が伴っている。
手袋のことも、寒い思いをするだろうし、そこから子どもは何かしら学ぶ。

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