先日、初めてフィンランドで葬式に参列した。日本の葬式と違い、色々と興味深かった。
今回の葬式を通して、フィンランド人の死に対する考え方も少し分かった気がする。
ちなみに私が今回参列した葬式は、ルーテル教会の葬式。葬式スタッフはいない。
葬式の場所は自分が所属する教会
フィンランドでは、国民の70%がルーテル教会に所属している。
教会に所属している人たちは、自分たちが住んでいる近くの教会に所属している。
教会は、洗礼式や結婚式、日曜礼拝など様々な用途で使われる。
という感じで、フィンランドには葬儀会館のような場所はなく、教会で葬式は行われる。
亡くなってから2週間後ぐらいに葬式が行われる
フィンランドでは、だいたい亡くなってから数週間後の週末に葬式をする。
日本では1日目の夜がお通夜で、2日目に告別式のように2段構成だが、フィンランドではその日の1日に全て終わる。
参列者には、事前に声がかけられる。もちろん呼ばれていなくても教会には行けるらしいが、故人が小さい葬式を希望していたりすると、参列すべきかは考える必要がある。
遺体は病院の霊安室に保管されていて、葬式の間も棺桶を開けることはない
葬式中、棺桶は教会の前のところに置いてある。事前に希望があれば、棺桶を開けて顔を見ることができるが、葬式中に棺桶は開けない。
黒い服装であればいい
今回参列して、気になるところがこの服装だった。日本のように喪服はあるのだろうか…
身につける小物などは…コートも黒?アクセサリーは?靴は?服の丈は?
結果、黒なら何でも良さそうだった。
参列者の服は、普段でも着れそうな黒の服が多かった。
ワンピースである必要もないし、スカートの丈は膝より短い人もいた。
黒のタイツはみんな履いていたけど、薄い素材の黒のストッキングの人もいた。
パールをつける習慣もなく、普段使いのアクセサリーをつけていた。
冬ということもあり、黒いブーツを履いている人が多かった。
カバンも、小さめのカバンからトートバッグまで。
コートは黒の人が多かったけど、グレーなどの人もいた。
男性は、黒のスーツで、白いシャツに黒のネクタイというのが一般的だった。
お供えの花は参列者が用意して持っていく
葬式中に、花を棺桶に供えるという時間がある。私はてっきり日本のように、ぞろぞろと並んで、会場に用意してあるお花を供えるのだと思っていた。が、
まったく違った。
まず、花は自分で花屋に事前に予約しておくこと。
花にはカードを添える。亡くなった人に対してのメッセージを添えて。
葬式中、一人、または一組ずつ花を添えに前に出ていく。
前に出た時、カードに書いてあるメッセージを読む。(みんな聞いてる)
牧師が事前に遺族のもとへやって来て、インタビューをする
葬式の時に、牧師が亡くなったおばあさんの人生を話す時間があった。
どういう人で、どういう家族や人々に囲まれて生きてきたか。
私は、どうしてそんなに細かいことまで知っているんだろうと不思議だったが、
後になって、牧師が事前に遺族にインタビューをしていたことが分かった。
そのインタビューに加えて、遺族側も故人に関する思い出を書面にして渡す。
それらをもとに、牧師が当日葬式で話す。
もちろんこれは、牧師によって異なり、表面的な言葉で終わる時もあれば、
今回のように、一つ一つを丁寧に話してくれる時もあるそうだ。
特に今回の場合、亡くなったおばあさんは子供の時からずっとその地域で暮らしていたので、教会ともつながりが深かったのだと思う。
火葬か埋葬か
フィンランドは埋葬されているところも多いが、最近では火葬を希望する人が増えているようだ。
葬式の最後に、参列者の中から男性が6人出てきて棺桶を外に運ぶ時があった。
その後、棺桶は火葬場へと行く。遺族はついていかない。
火葬された遺灰は、雪が溶けたころ遺族がいつ墓に入れるか決める。
葬式のあとは、故人を偲ぶ会へ
教会の近くには、教会会館(Seurakuntatalo)みたいなものがあり、そこへ移動する。
食事をして(牧師も遺族のテーブルで一緒に)、その後に故人にまつわるエピソードを誰かが話す場が設けられる。
この時に、葬式に参列していない人からの電報も読まれる。
花は届いていなかった。
故人の写真はそこに飾られていて、教会内にはなかった。
グランドピアノがあったので、私はそこで一曲演奏した。
故人を偲ぶ会では、教会での悲しい雰囲気とは異なり、故人の思い出を話したり、久しぶりに会った親戚と近況を話し合ったりする明るい場になっていた。
日本での葬儀のやり方に興味津々なフィンランド人たち
今回、色々な人に日本の葬式の方法を聞かれた。その中でフィンランド人の反応がこちら。
「葬式、そんなに早くあげなきゃいけないって、みんな参列できるの?」
「葬式にお金持っていくんだ。日本では結婚式の時も持っていくよね」
「火葬に遺族も?え、遺族が骨をツボに入れる?しかも箸で?!考えられないわ…通りで日本人は小さい時から箸が使えるのね。」
最後に
葬式中のメッセージの中や、牧師の話の中、参列した人たちの会話の中にも
よく出てくる言葉があった。
“Hän lähti viimeiselle matkalle.(彼女は、最後の旅へ出発したんだ)”
この考えはおそらくキリスト教から来ているものだろう。
死はもちろん悲しいことだけれど、良いところにも目を向けよう、前を見ようという考えがフィンランドの人たちの中にはあるのかな。
あと、おばあさんは病気で亡くなったので、その病気で苦しかった時から解放されたのが何より良かった。と言う人が多かった。
亡くなった悲しみよりも、病気で苦しんでいる時の方が辛いという考え。
日本の葬式とは死の捉え方、見せ方が違うかったフィンランドの葬式。
日本の葬式では、棺桶を開けて、火葬場についていき、遺骨も見る。そこまで終えて
その人が亡くなったという事実を受け入れる。
日本では葬式も参加は個人の自由で、たとえその人と面識がなくても、遺族と関わりがあれば参列することも。
日本の方が死に対しては慣れているというか、身近な気がする。
フィンランドではそもそも葬儀に参列したのは子供の時。という人もいて、葬式について知らない人が多かった。
フィンランドでは、数週間後に葬式を行うというところも、死を受け入れる準備ができている気がする。日本の葬式だと、あっという間に全て終わってしまう。
でもどちらの国の葬式の方法も私は良いと思った。
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